2013年1月26日土曜日

レッテルを貼るということの大きな弊害 -ゆとり世代というネーミング

下記のようなまとめが作られるくらい,ゆとり世代というものに体するイメージは悪い.
http://matome.naver.jp/odai/2128321591083754201

当然,ゆとり世代を作ったのは,ゆとり教育を受けていた本人たちではなく,その教育を作り出した大人たちである.自分たちが作り出した世代に対して,勝手に「これだからゆとりは…」なんて言うのは,身勝手も甚だしい.

とはいえ,人間というのは,レッテルを貼り,分類をしてグループにすることで安心する動物だ.出身地,血液型,性別,年齢等々.O型だからおおざっぱ,女は群れるなどなど.あげていけばきりがない.しかし,そうやってレッテルを貼ることがコミュニケーションの断絶につながっていく.

たとえば,学校を想定してみる.ある年代が,総じて不良が多い学年だったとしよう.その学年は「不良が多い学年」というレッテルが貼られる.どんなにまじめな人間であろうと,それは「あの学年にしてはまじめだ」という評価になる.もし一瞬でも,社会が感じる悪の行為を行ったなら,「結局あいつは同じ穴のムジナ」ということになるわけで.ある集団にレッテルを貼ると言うことは,個というものを殺し,評価をゆがめるものとなる.そう評価された方はどうか.正当に評価されないとしたら,腐ってしまう.

もちろん,個に対するレッテルも同じ.ジャイアンがよく言う.「のび太のくせに生意気な」と.のび太のした行為がいかに良いことであろうと,だらしなくて弱い,というレッテルが貼られているのび太がやると,それは=生意気となってしまうわけである.

思えば,世の中はレッテル貼りにあふれている.「マスコミはだめだ」「教育委員会はだめだ」「東電は何をやっているんだ」などなど.

評価されるべきは,団体や個人に貼られているレッテルではない.行われている行為そのものである.

話は戻ってゆとり世代.今,ゆとり世代と呼ばれている子供たちと仕事以外で接する機会がある.彼ら彼女らから言えば,ゆとり教育をされていること,されてきたことは迷惑でしかない.教科書自体にそれ以上のことを学べる環境が整っていない.彼ら彼女らも,それなりの教科書を渡されればきちんとした知識を身につけていた人間なのである.また,世間で言われているような積極性のなさや,指示待ち,誘いを断る,なんて特徴は,少なくともわたしが知っているやつらにはない.ちょっとこつを教えてやれば,すぐに吸収する.彼ら彼女らは教育に飢えている.

語りたいのは,ゆとり教育がだめだった,という話ではない.それを評価しきれずにもてあまして,「これだからゆとり世代は」と語る大人たちの方である.

最初に貼ったリンクの内容を読み返してみる.「個性を大事に」と大人は言う.なのに,個性的な人間にたいして「礼儀がなっていない」という.一部の大人は「飲み会は時間の無駄」というのに,「上司の飲みの誘いは断る世代」とまるで悪者扱い.ではゆとり世代と呼ばれる人間たちと,この批判をする大人たちは真剣に話をしたことがあるのだろうか.真剣に接せず,ただ自分の今までの価値観,つまり自分に対するレッテル,を,若い世代に当てはめようとして,それに外れるもの,自分には理解できないものを,「ゆとり」と呼ぶことによって安心感を得ているだけではないだろうか.

この前見た,山本五十六の映画のなかで,繰り返し五十六が唱えていた言葉.「次代を担うのは若者」ということ.調べてみたら,このようなことも言っていたそうだ.

「いまの若い者は」などと、口はばたきことを申すまじ

実年者は、今どきの若い者などということを絶対に言うな。
なぜなら、われわれ実年者が若かった時に同じことを言われたはずだ。

今どきの若者は全くしょうがない、年長者に対して礼儀を知らぬ、
道で会っても挨拶もしない、いったい日本はどうなるのだ、などと言われたものだ。

その若者が、こうして年を取ったまでだ。
だから、実年者は若者が何をしたか、などと言うな。
何ができるか、とその可能性を発見してやってくれ。


本当にそう思う.ゆとり教育を受けてきた世代が,今後大人になるときに,反発からものすごい教育システムを生み出す可能性だってある.それを単なる大人の馬鹿みたいな「ゆとり世代」なんてレッテルによって,可能性をつぶすことはばからしい.「しかられるとすぐへこむ」というのを認識しているのなら,褒めて伸ばせば良いだろう.変わるべきは彼ら彼女らではなく自分自身であると言うことをまず認識すべきだ.

かくいう自分も,やはり分類が好きな人間であった.女はこうだ,○○サークルのやつは終わっている.ただ,逆に自分も同じように評価されていると感じたときに,それをやめることにした.やめることによって気づいたのは,自分自身に対してもレッテルを貼り,限界を定めていたと言うこと.人を見る前に,まず自分自身に対して考えるべきだと言うこと.

レッテルというメガネを外し,その人の行為に注目しよう.だめなことはだめだし,いいことはいい.そこをしっかりと指摘し,互いに成長すること.そういうことを大事にしたい.

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