2014年1月7日火曜日

人間としての敷居

歩いていると,よく道を聞かれたりする。
自身は恐ろしいほどの方向音痴(久々に帰省したら高校への通学路を忘れているほどの)なので,ご期待には添えないことが多いが,それでも月一回くらいのペースで聞かれる。
日本人だけならまだしも,外国人にも聞かれたりする。

同じような現象で,人からよく物をもらう。
ほとんど会ったことがない人からみかんやら関サバやらが送られてきたり,一升瓶が送られてきたり。近所の人から夕ごはんをおすそ分けしてもらったり。


これは一体何なんだろうか。

人間としての敷居,が低いのかなと思う。
敷居が高いの本来の意味は,不義理などがあって行きにくい,だそうなので,敷居が低いって言葉はちょっと変かもしれないけど,イメージ。
そもそも不義理などを感じさせる人間ではないんだろう。
単純に話しかけやすいとかそういうレベルではなく,自分の心理的受け入れ体制として,一瞬で心の深部まで晒してしまうということが大きいのかなと。
見た目も関係しているのかもしれないけどね。

そこら辺,詳しく分析すればもっと人生広がるのかな。

まとまりないけどこの変で。
忘備録。