2013年1月10日木曜日

大阪の自殺問題に思う報道と政治


言わずとしれた大阪府の教員の体罰による自殺問題.
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130109-00000040-mai-soci

調査が進むにつれ,平手で30~40叩いていたなどの事実が明らかになり,教師の行き過ぎ感は否めません.ツイートを見る限りでは,わたしより上くらいの世代が「昔は体罰など当たり前だった.なぜ自殺など」といった論調が多かったです.でもそれは当事者じゃないから言えることです.じゃあこの自殺した子の親に同じことを言えるでしょうか?わたしは言えません.

さて,この体育教師がやったことが体罰だったか否か,といったことや,教師の人となりに怪しいところがないか,少年がいかにいい人だったか,そういったことに報道の中心が早くも移っている気がします.問題はそこなのでしょうか?年間3万人もの人が自殺する国日本.今回の当事者の「人となり」が分かったからと言って,この現状から抜け出せるとは思えません.本当の問題点はなんでしょうか.

この少年は,親にも相談していたし,「誰にも話せない」ような状況にある人間ではなかった.ではなぜ最悪の死というシナリオを選んだのか.それは,「死」に意味があると考えてしまったからではないでしょうか.

いじめでの自殺にもつながりますが,加害者側に対して被害者は訴える術がありません.そうすると,訴える術がない被害者はどういう道を選ぶか.「死」という選択肢によって,加害者側に最大の「いやがらせ」をするという道を選ぶことも十分考えられます.なぜなら,現在の日本ではいじめによる自殺問題がニュースとして非常に大きく取り上げられるからです.要は,自殺という行為によって,いじめられているちっぽけな自分が社会を動かすことができる,そんな錯覚に陥るのです.そう考えると,自殺報道は,いじめや体罰の問題に一石を投じているようで,実はいじめや体罰による自殺を助長している機構になっているのではないでしょうか?いじめられて自殺した人は,報道ではまるで悲劇のヒーローヒロインのように扱われます.座していじめに耐えるくらいなら,死後の栄光を選択してしまうということもあると十分考えられます(死後の栄光なんて,そんなものは絶対にありません!!).

いじめや体罰の報道の流れは決まってこうです.
被害者自殺→なぜ自殺したのか→いじめ→加害者側に問題は?→問題があった→謝罪→そもそもなぜ防げなかった?→教師が悪い→教育委員会が悪い→教育改革!
わたしには,風が吹けば桶屋が儲かる,くらいのつながりにしか見えません.なぜ自殺問題が教育"改革"にすりかえられるのか,さっぱり分かりません.どう教育をすればいじめが,体罰がなくなるのか,誰か明快に説明しているでしょうか.

以前,海外のいじめ対策について調べたときに下記のサイトが見つかりました.
http://members.jcom.home.ne.jp/i-network/kaigai.htm
このような海外でおこなわれている対策は,教育を"改革"しなければできないような問題でしょうか.道徳の時間に毎回こういうことを入れればいいだけではないのか.大手をふるって“大問題だ!”と騒ぐのはいいですが,Google先生に聞けば一秒で出てくるような海外のモデルケースについて,なぜ勉強や導入をしないのでしょうか.

日本の文科省が考えつくいじめ対策なんかは,せいぜいこんなものです.
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG0502Z_V00C12A9000000/
「いじめの早期発見に向けて全公立中学校にカウンセラーを置く。」
→いじめを学校ですら発見できないような状況下に置かれている子供が,わざわざカウンセラーの元に足を運ぶでしょうか?
「いじめを繰り返す子らを出席停止にする制度の活用も促した。」
→出席停止にして,帰ってきた子は逆にいじめの対象にならないでしょうか?
「いじめ問題の対策費として、2013年度予算で12年度に比べて約6割多い73億円を要求する」
→お金をかければ解決する問題でしょうか?
そして,百歩譲ってこれらが有効な手段だとしても,これらは全て対処療法でしかありません.根本の,いじめをしない子供をいかに育てるか,という観点が完全に欠落しています.こういう人たちが教育改革をして,何か形になるとは全く思えません.

今日のNHKのニュースにも,自殺報道のすぐ後に文科省の大臣がインタビューを受けていました.しかも「わたしは苦学生でした」的なもの.苦労して今がある,だから若者がんばれ!…って,それって単なる自慢ですよね?「体罰の実態を把握したい」って,把握してどうなるんですか.たとえばこうでしょうか.
体罰の実態把握
→教師のストレス把握のためにカウンセラー設置
→体罰防止のために危ない教師は配置転換
→教師育成のために予算増
これでなおりますか?
そして,こういった番組構成で報道機関は何が訴えたいのですか?

日本の政治にはスケジュールと時間の観点が抜けていると思います.たとえば今回野党に転落した党が「2030年までに原発0」と公約に明記していましたが,それは単なる希望であって,決してスケジュールではありません.だから,「決められない」のです.スケジュールがきっちりしていれば,決められないなんてことはありません.決めなければならないのだから.大事だから,小事だから,そんなことは関係ない.大事だから「早急に」でも決められないから結局だらだら.では意味がない.大事だけど難しいから20年かけて何とかします.1年目はこれ,2年目はこれ,3年目は…と明示してくれる党があったら,次の選挙はその党にいれますよ(笑)

だから,いじめや体罰の対策として教育改革を本気でやろうとするのならば,きちんとスケジュールをたてるべき.何年までにどういう教育プログラムをどのように実施する(たとえばモデル校いくつかにでもよい).その内容検証に何ヶ月.プログラムの精査・再構築に何ヶ月.全校適用.で,5年あれば何とかなるんじゃないかなと思います.政権を維持できる4年でもいいです.本気で政治をやるのだったら,政権交代が現実となった今,すべての懸案事項は4年スパンで解決すべき.4年ごとにどんどんよくなる日本.考えただけでわくわくするんですが.

話が報道から政治寄りにかなりずれました.

若い人が死という最悪の選択肢を選ぶことは非常に残念です.そのためにも,報道機関は死を防ぐ報道をすべき.自殺に意味があると思わせることはあってはならない.

報道というのは,小さなことも大きく,大きなことを小さくできるある種恐ろしい機関です.自殺だ!体罰だ!大騒ぎする前に,まずはこの一言を伝えてほしいものです.

「自殺することに意味はない.生きなさい」と.

ちょっと長くなりましたが,今日は酔いも回ってきたのでこの辺で.

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